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明日香法
明日香法が生まれるまで

たおやかな丘陵、緑したたる森林、水田。 そのなかをゆるやかに蛇行する川。 自然の地勢に沿って形成された集落と、なだらかに曲線を描く道筋。 ゆっくり歩いていくと見え隠れする古い様式の日本家屋。  各処に点在し、未だ地下に眠り発見されるのを待っている貴重な歴史遺産・・・。 この素晴らしいふるさとを守り、育てていくための仕組みの一つが古都保存法の特例法として制定されたのが、通称「明日香法」です。 正式には「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」といい、「明日香村特別措置法」とも呼ばれています。 公布・施行は昭和55年(1980年)5月。 30年余の長きにわたって明日香村を見守ってきました。

 

明日香法以前の明日香

昭和41年(1966年)1月に制定された古都保存法(正式には「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」という。)に、同年7月に明日香村も部分的に指定されましたが、都市化の波が、明日香村に達しようとしていました。 かつて通勤範囲とはみなされなかった明日香村や周囲の市町村も時代が進むにつれて十分その範囲となり、無秩序な宅地開発が始まろうとしていたのです。
一方、明日香村の主要な産業である農林業は零細化、後継者不足などで苦況に立たされていました。 つまり都市化と主要産業の苦境という2つの波が同時に明日香村を襲おうとしていました。
ただ保存地域に指定された土地の現状維持を図るだけでは、そこは活力のない村になってしまいます。 まずその住民の暮らしを豊かにすること抜きに、環境と一体となった“風土”を守ることはできないのです。
明日香村の村民らは、このような危機に一体となって立ち向かい、全国に向かって声をあげてきました。 明日香に魅せられこの地に移り住んだ漢方医御井敬三氏もその一人で、明日香村の保存を訴える声を自らテープに吹き込み、松下幸之助氏の仲介によって、当時の首相、佐藤栄作氏に送りました。 昭和45年(1970年)年頭のことです。

 

危機感をバネにして

当時、明日香村の風土を守れという声は、日本全国に広まりつつありました。 テレビや新聞などのマスコミが“飛鳥”を競って取り上げ、その素晴らしさを訴えたのです。 しかし政府を動かしたのは、何よりも御井敬三氏の“声の直訴状”でした。昭和45年(1970年)5月には当時の建設相である橋本登美三郎氏を会長とする「飛鳥古京を守る議員連盟」が結成されました。 6月には当時の佐藤首相一行が明日香村を視察。 そして12月、歴史的風土の保存と住民生活の向上とを2本の柱とする「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策について」の閣議決定がなされたのです。折しも大阪で万国博覧会が開催されたこの昭和46年(1971年)4月、明日香保存財団が設立されました。

 

明日香法の制定

こうしてさまざまな施策が始まりましたが、比較的目につきやすい歴史的風土の保存に関する事業、すなわち史跡や観光客のための施設の整備などは予定通り実施されたのに対し、住民生活の向上に関する施策については遅れがちになり、住民からは不満の声があがりました。
これら村民の声などを受けて特別立法の制定への要望が高まり、歴史的風土審議会などの審議を経て、昭和55年(1980年)、明日香法が誕生しました。
明日香法は、古都保存法の心髄である“古き良きものを守る”ことをベースにしながらも、そのためには住民の生活のさらなる向上が不可欠という考え方を基本にしています。
明日香村のかけがえのない歴史風土を未来に向けて保存継承、創造的に創り直していくのが、明日香法の目的だといえるでしょう。

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