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明日香法
御井敬三氏の直訴状

昭和45年1月
佐藤首相閣下
御井 敬三
「日本の心のふるさと」明日香を守るために

拝啓、輝く1970年を壽ぎまつるにあたり、誠に偉大なる日本の指導者であられます佐藤首相閣下の御健勝を衷心より祈念してやみません。さて、日本国民の一人として大和魂をふるいおこし、一管を奉ることを、何卒、御聴容のほどお願い致します。
今日、日本がこのような躍進をみるに至りましたのには、元より大稜威のしからしむるところではありますが、そこには、恵まれた風土と歴史に培われた日本人の伝統的国民性とその国民性の結晶である自民党の政治力に預かっていることは申すまでもありません。

ここに、1970年を迎えるに当たり、現政府の施政方針の一つに、是非とも取り上げて頂きたい事柄があります。それは、具体的にどういうことかと申しますと、ヒューマニズムと一つの根を持った愛国心の涵養であります。言い換えれば、自己を愛する如く日本国家を愛し、以って世界を愛する精神の高陽であります。日本人が日本の国家を愛し得ずして、どうして世界の平和に貢献することができましょう。そして、そのような愛国心を涵養するためには、これを単刀直入的に申し上げれば、国民教育一切を歴史的、地理的、倫理的の三大基礎の上に置くことで、その最も良き具体策として、大和、明日香村の自然と史跡を、国の法によって守ると共に、明日香村に日本の教育の歴史的、地理的、倫理的基礎を研修する教育研究所、或いは国民情操教育のセンターを設けて頂きたいと言うことであります。
ご承知のように、明日香村は大和朝廷発祥の地であり、日本の古代国家が初めてその形を整え、法治国家として出発した古京であります。古代の大和朝廷の殆どが飛鳥に都を置き、そうしてこの飛鳥を中心にして大和国家は栄え、この飛鳥を中心として古代文化の輝かしい数々が生まれ、やがて大和の名は日本全体を意味する言葉となってまいります。このように、古代日本の政治と文化の母胎となったのが明日香でこの飛鳥こそは、「日本の心のふるさと」の名に値する唯一の存在でもあるといえます。したがって、明日香の古京を逍遥すれば誰しも日本のこの国が如何にして形成され、如何なる経路を辿ってきたかを回想せずにはおられないでしょう。このように、日本の国の成り立ちから、日本の国がどういう国がらであるかを知ることは、日本人にとって最も大切な事柄ではないでしょうか。
そうして、忘れてならないことは大和国家がほかの多くの民族が辿った単なる専制君主国家というような形態ではなく、国の家作りの中心が太古より倫理的に見定められていたということです。そうした上でここの民意が尊重され、かつ倫理的に指導されつつ発展したという日本独自の和の組織を見ることができます。飛鳥時代に制定された聖徳太子憲法と大化の改新の精神は、それらを明らかに物語っています。
明日香はまた、古墳時代の後期、その頂点に立って、律令の制定、神祇上の典礼の確立、外邦百済・隋・唐との交流、医術、暦法、数学、舞楽、建築その外の文化の摂取が行われ、仏教を移入して造寺、造仏を興こし、漢字の伝来を待って日本の言葉を文字に写すことを始め、古事記、日本書紀、風土記などの史実の編纂、万葉集などの詩歌の編集など、我らの祖先が如何に人生を生きたかを哲学的、宗教的、倫理的に標し、またそれらを歴史的、文学的にも世界的に誇るべき貴重な記録として後世に残した古京であります。
その外、近代につながる注目すべき文化事業が営まれました。そのために注がれた高邁なる不抜の精神と驚くべきエネルギーは、残された史実資料を通して十分にうかがうことができます。その意味においても日本民族が持つ明日香古京は非常に偉大な価値を持つものであると申せましょう。
およそ如何なる国の民族も、それぞれの国が持つ文化遺跡を高く評価するものです。そしてこれを誇り、これを愛し、その国の名において実際に大切に保存しています。
それにも拘らず、我が国ではこの大切な明日香古京を大切に保存し、これを愛し、これを生かす精神とは非常に遅れています。一体これは如何なることなのでしょうか。
もしも、このままに放置するならば、明日香古京は近代化の浸蝕を受けて、幾ばくもなくその価値を消滅してしまうことでしょう。
日本民族のふるさととも言うべき明日香の自然と風物、世界に誇るべき貴重な史跡は、どんなことがあっても守れなければなりません。そのためには、さしあたり、特別風致地区及び古都保存法の両条例を適用することによって、明日香の風致と史跡を保護する処置を早急にとって頂く。そしてさらに、明日香を守るというよりも、これによって国民精神の作興を図るとなれば、どうしても明日香古京法というような別の法令によって明日香を日本人の精神のふるさととして、村民の生活保障を含めた建設的な処置が取らなければならないでしょう。
只今のところ、心ある文化人、実業人、報道陣らが「明日香を守る会」のもとに相集い、とにもかくにも明日香を近代化から防ぐことに着手しています。
これに呼応して、朝日新聞社からは史跡を守るための献金を贈られ、また、社説をもって毎日新聞社と共に、明日香を守ることの重要性を強調してくれています。その他の新聞社においても「明日香を守る会」のために多くの貴重な紙面を提供して協力、また、有名財界人からも温かいご援助を約束して頂いております。けれども、明日香の胎臓する民族的意味はあまりにも大きく、かつ、明日香を守る唯一の道は、明日香をこの後の日本の国作りの上に、その精神の中心として生かすことであると言う問題について考えてみる時、是非とも国の力によらなければならないという結論が出て参ります。それには、先に触れたように法の力によって明日香が保護されねばならず、国の力によって明日香の地に日本精神振興のセンターが樹立されなければなりません。
ここに切実に佐藤首相閣下の御英断を祈る次第であります。
かく言上致します私は、東洋医学の漢方によって、世の一部の人々の保健に微力を捧げてきた者でありますが、東洋医学はもともと東洋の哲学と結びついて発達してきましたために、診療には常に精神との関係がついてまわります。
そうしたところから、保健に尽くすには診療の外に、人々の心の持ち方にふれなければならないと自覚して、ここ1~2年を松下幸之助所長主宰される読者140万を擁する月刊誌「PHP」の編集に参加させて頂き「ミドリのランプ」なる題名のもとに、漢方からみた心身の健康指導シリーズものを執筆しています。 こうして、「PHP」編集参与として世界における日本の現在を見つめ、将来を考えますとき、今日の日本にどうしてもなくてはならないもの、日本民族の中心になるものは何かということで、これを密着せしめることの急務にせまられました。
一方、私は診療所を持つ大阪市の公害から逃れて週末を静養するため、たまたま明日香に偶居を得て一年有余、かねてよりあこがれていた明日香の想像以上のすばらしさに驚くとともに、しだいに明日香の持つ民族的意義を深く学び、非常な感動を覚えることができました。
こうして、焦点が一点に絞られ、日本民族が中心にすべき精神は古事記、日本書紀、万葉集の心に流れていることを発見し始めたのであります。その探求には、明日香の自然を通して飛鳥時代の史蹟を通して、私達の祖先が残してくれた民族のイブキに触れなければならないと思考することに至りました。
こうして、民族の血の中に民族の中心とすべき国粋を見出し、それを核として明治以降の文化を整理し、さらに集大成しなければならない時に来ていることは、多くの人々が痛感するところのようです。そして、私は漢方の脈診治療の研究と診療所の経営を信頼する息子、娘夫婦と愛する子弟に委ね、日本の柱石と仰ぐ限られたる方の保健に注ぐほかは、私のすべての時間とわずかながらも許されたる財力の一切を「飛鳥村塾」の創設に打ち込み、余生を日本精神振興のために捧げたく念じています。
明日香を守ることは、いわば史蹟を守ると言うたぐいではなく、又、「温故知新」といわれる古きを尋ねて新しきを知るにとどまらない、更に大いなるものが秘められているところに意義があります。
ここに、日本人として愛国の至情止み難く、あえて一管を走らすに至った次第であります。
加えて、この一管の御聴許を機に、首相閣下に是非とも飛鳥の古京趾を御視察頂ければ、光栄これに過ぎるものはございません。

願わくば、天の祐けと共に、人生意気の感ずるの士は来たりて行を共にされんことを、更にこの飛鳥村塾が魁となり、国の力によって、本格的な明日香古京の精神活動が出現することを祈りつつ、つたなきこの一管を終わることに致します。

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