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指定文化財
【31】 高松塚古墳出土品 (副葬品) ※文化財保護法による指定文化財
名称 高松塚古墳出土品 (副葬品)
所在地 ---
種別 国指定 重要文化財 (考古資料)
指定年月日 昭和49年4月17日
管理者

 

乾漆棺(杉板に漆を塗り金箔を貼った棺):1個 / 金銅製対葉華文の透飾金具:1個 / 金銅製円形飾金具:6個 / 金銅製六花形座金具:2個 / (左記の)留金具:5個 / 銅製角釘:10本(内、破片3本) / 白銅製海獣葡萄鏡:1面 / 銀荘唐様太刀飾金具:1式 / 琥珀製丸玉:2個 / ガラス製粟玉:多数

 

 

【32】 紀寺跡 ※奈良県指定文化財
名称 紀寺跡
所在地 ---
種別 史跡
指定年月日 平成5年3月5日
管理者 奈良県

 

明日香村小山と橿原市にまたがって紀寺跡と伝えられた場所があり、紀氏の氏寺に由来して紀寺と称したといわれているが、文献上からは、「続日本紀」によると、天智9年(670)には、すでに紀寺があって奴婢のいたことがうかがえる程度で、場所についてははっきりした事は分からない。 明治10年(1877)頃まで塔の心礎あるいは礎石がわずかに残存していたといわれるがはっきりしない。 昭和48年(1973)からの発掘調査により、金堂跡、講堂跡、回廊および南門跡を検出し、また、金堂の西側で瓦窯を見つけている。 これからの結果、紀寺の寺地は一辺240メートルほどの規模であったと思われる。

 

 

【33】 絹本著色太子絵伝 ※文化財保護法による指定文化財
名称 絹本着色太子絵伝
所在地 ---
種別 重要文化財/絵画
指定年月日 明治33年4月7日
管理者 橘寺

 

聖徳太子伝暦を典拠にして聖徳太子の入胎から薨去に至る出来事を大和絵の手法を用いて描いたもので、土佐光信の筆と伝える八幅からなる。内容の進行方向はこの種の絵伝中数種あり、本寺のものは法隆寺絵殿のそれと同じ形式を持つことは本寺と法隆寺の関係からみてまことにきょうみ深いものがある。筆法・彩色共にすぐれたもので、おそらくは鎌倉時代の南都絵所系の製作になるものと思われるが、この種の遺品中、作域も傑出しており、聖徳太子信仰考察のまことに貴重な資料である。

 

 

【34】 塑造如意輪観音坐像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 塑造如意輪観音坐像
所在地 明日香村岡806番地
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治34年8月2日
管理者 岡寺

 

塑造 彩色 像高458.2cm
本像は、普通儀軌に説くところの像様と異なるが、「十巻抄」巻六には、大和龍蓋寺(岡寺)の丈六如意輪像は、古い二臂如意輪観音の像様で、左足を垂下している、とあるから、もとは半跏像であったかと思われる。本像は日本最大の塑像で、体部以下に後世の補修が多く、造形にしまりが欠けるとは言え、その頭部には、天平彫刻の気宇雄大な表現が見られる。頭上に高く太い宝髻を結び、眼を伏せずにまっすぐ前方を見すえ、厚い唇を固くとじた面相には、威厳がある。本像の造立時期は明らかでないが、「寺門高僧記」には、弓削道鏡(?-773)が願主となって造立した、との記載もあるので、奈良時代後期の造立が推定される。

 

 

【35】 木造持国天・多聞天立像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木造持国天・多聞天立像
所在地 明日香村川原
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治34年8月2日
管理者 弘福寺

 

木造 素地 像高ー持国天193.4cm、多聞天194.8cm
弘福寺は川原寺とも呼ばれ、7世紀半ば頃の創建以来の古い由緒を誇ってきたが、平安朝以後の衰退著しく、かつての大伽藍を構成した堂塔は既になく、文化財としては、この二天像が指定されているに過ぎない。両像とも頭・体部から足下の邪鬼に至るまで檜の一材から彫出され、持国天像では、両肩、左袖先、左手首を矧ぎ、多聞天像では両肩、左肘、左袖先、左手首、右上膊半ば、右袖先、腰以下の裳裾、および両沓先を矧いでいるが、いずれも矧ぎつけ部は後補である。なお両像とも、背面の腰の上下に各長方形の埋木がある。両像とも頭部を小さめに、かつ体部にめりこんだように作り、体部を大きく見せている。体部の動きは少なく、両相や構造は古様で、これに作風的にやや近いと思われる京都・六波羅蜜寺の四天王像よりも、さらに年代的に遡る可能性が強い。かの四天王像を10世紀半ば頃の作とすれば、この二天像は10世紀前半の造立と推定される。両像とも朽損が著しく、特に多聞天像は、頭部から左肩、腹部、両足、邪鬼と、ほとんど全身にわたって、堂の雨もれによると思われる朽損が目立ち、平安以後のこの寺の衰徴の歴史を、物語っているかのようである。

 

 

【36】 木造如意輪観音坐像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木造如意輪観音坐像
所在地 明日香村橘532番地
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治42年9月22日
管理者 橘寺

 

木造 漆箔 像高173.0cm
観音堂の本尊で、ほぼ周丈六の堂々たる巨像である。寄木造りになるもので、光背・台座・銅製の頭飾・胸飾、各持物は後補である。やや下ぶくれの丸顔や大きく彎曲した明瞭な眉の彫出、やさしい伏眼、小ぶりの唇、また体部のやや単調な肉どりなどは、平安時代後期に共通する作風を示しているが、条帛や裳、天衣などの襞の彫出は、浅い平行線を重ねる平安後期の多くの作例と異なり、線的というよりは、むしろ面的である点が注目される。

 

 

【37】 木造聖徳太子坐像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木造聖徳太子坐像
所在地 明日香村橘532番地
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治42年9月21日
管理者 橘寺

 

木造 彩色 像高55.1cm
橘寺は、聖徳太子生誕の地と伝え、また推古天皇の14年(606)、太子が天皇に勝鬘経を講義された所として名高い。本像は、この故事に基づいて造られたもので、袍の上に袈裟を着し、天皇のために経を説く姿をあらわしたものである。像は樟材の寄木造りで、玉眼を嵌入し、布貼り・漆下地に彩色を施している。構造は、頭部を耳前で前後矧ぎとし、首柄で体部に挿し込み、体部は、前後に左右二材、背面に一材を寄せ、両袖・両手先を矧ぎつけ、膝部は一材を矧いでいる。本像の膝裏に次のような墨書銘がある。「筆者湛恵明通/大佛所/椿井舜慶法橋作也/永正十二年十二月廿二日」椿井仏師舜慶は、16世紀初期を中心に活動した仏師で、その作品としては、本像のほか、当寺の薬師如来坐像、文亀2年(1502)銘の慈明寺十一面観音立像などが知られている。

 

 

【38】 木造地蔵菩薩立像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木造地蔵菩薩立像
所在地 明日香村橘532番地
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治42年9月21日
管理者 橘寺

 

木造 彩色 像高152.4cm
欅材の一木造りで、内刳りは全く施されていない。両手先と両足先は矧ぎつけとしているが、いずれも後補である。頭部を小さく、体部を大きく作り、見る者に、体部の量的な威圧感を印象づけようとしているが、彫りが浅く、面相もくせのない、穏やかなもので、本像の場合、その表現は中途半端に終わっている。膝下から足先近くの裳裾には、翻波式衣文が見られる。平安時代前期の作であろう。

 

 

【39】 木造だ太鼓縁 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木造だ太鼓縁
所在地 明日香村橘532番地
種別 重要文化財/工芸品
指定年月日 明治42年9月21日
管理者 橘寺

 

木造 彩色 高297.0cm
だ太鼓は、古くから舞楽に用いられて来た打楽器の一つである。縁は、太鼓を懸けるためのもので、その形式はどこのものもほとんど同様である。 中央部から縦に左右に割れるように造られ、左右それぞれに巻雲の中に一匹ずつ登り竜を彫り出し、極彩色を施している。現状は彩色の剥落が甚しいが、切金なども僅かながら残り、華麗なもとの姿がしのばれる。鎌倉時代の制作と思われる。

 

 

【40】 銅造釈迦如来坐像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 銅造釈迦如来坐像
所在地 明日香村飛鳥682番地
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 昭和15年10月14日
管理者 安居院

 

銅造 像高275.2cm
有名な「飛鳥大仏」である。蘇我馬子建立の法興寺本尊として造顕されたが、「日本書紀」などから本像の作者は鞍作止利と考えられている。鋳造は困難を極めたらしく、「元興寺縁起」によれば、推古天皇4年(596)から同13年(605)までを要し、手直しや鍍金など仕上げを終わったのは、推古17年(609)と推定されている。 その後の罹災と補修のため、当初の尊容は大きく損われ、残るは額と目のあたりの部分と左耳、そして右手中央三指だけだとされる。眉の強い線、杏仁形の眼は、造立当初の力強く野性的な面貌を想像させるものがある。

 

 

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