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文化財
指定文化財
【41】 絹本着色仏涅槃図 ※奈良県指定文化財
名称 絹本着色仏涅槃図
所在地 明日香村橘532番地
種別 絵画
指定年月日 昭和54年3月23日
管理者 橘寺

 

絹本著色 掛幅装 縦280.5cm 横206.4cm
沙羅双樹の下、宝台に右体側を下に西面して横たわる釈尊の周囲には、諸菩薩、仏弟子そのほか多くの動物たちが集まり、右上方には、摩耶夫人一行の来臨を、左上方には月明をあらわしている。
両面は損傷が激しく、失われた部分が多いが、宝永5年(1708)の表装修覆の際と思われる補絹、補筆が加えられている。巧みな構図に、肥痩のある線を駆使し、克明な描写と適確な表現は画面に緊張感をただよわせている。箱書の康暦2年(1380)の年紀を制作年代と考えてよいと思われる。

 

 

【42】 石燈籠 ※文化財保護法による指定文化財
名称 石燈籠
所在地 明日香村橘532番地
種別 重要文化財/建造物
指定年月日 昭和37年2月2日
管理者 橘寺

 

石造 総高220cm
本坊の庭園内に置かれている。花崗岩製の六角型石燈籠で、方形の格狭間付き基壇を設け、その上に据えられるが、燈籠の基礎は、側面三面には竜、他の三面には宝珠と花菱文を刻み、上部は複弁反花とし、竿受座に小蓮弁をめぐらす。竿に上中下三節をつくり出すが、後世のように外へあまり張り出していない。中台下部は単弁の仰蓮、側面をそれぞれ二区に分け、各区に走獅子を浮き彫りにしている。中台上部は蓮弁をあらわし、火袋受座とする。火袋四面に四天王像を彫り、前後二面は火口とする。各面の上区は横連子二区、下区は花菱文二区である。笠の蕨手は低く巻くが破損が多い。宝珠は別に保存されている。南北朝時代初期の制作と考える。

 

 

【43】 薬師如来像 ※明日香村指定文化財
名称 薬師如来像
所在地 明日香村上
種別 彫刻
指定年月日 昭和53年4月4日
管理者 大字上

 

薬師堂
木造 像高87.0cm
膝上の左手掌上に薬壷を載せ、結跏趺坐する通形の薬師如来坐像である。桧材の一木造りで、両肩と膝前は別材の矧ぎ付けとし、彫眼である。温雅な面貌を示しており、平安時代中期ごろの造立と思われる。

 

 

【44】 木造日羅立像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木造日羅立像
所在地 ---
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治34年8月2日
管理者 橘寺

 

奈良国立博物館
木造 彩色 像高144.6cm
日羅は、古代の伝説的な人物で、「日本書記」によると、長く百済にあったが、敏達天皇の12年(583)、天皇の強い要請で帰国し、対朝鮮政策に参与したが、日羅の献策に自国の危険を感じた百済人により暗殺されたと言う。また日羅は、聖徳太子の師僧とも伝えられるが、「書記」に徴する限りでは、聖徳太子との関係は不明であるし、また彼が僧であったという根拠は全くない。本像は、おそらく地蔵菩薩像として造立されたのであろうが、その面相が人間臭い、特異なものであったので、後世日羅像との伝承が生じたのではあるまいか。像は檜材の一木造りで、頭・体部から六角形の蓮華座まで共木から彫出し、両手首から先は別材を矧いでいるが、この両手先は後補である。右足を遊脚として、腰を軽くひねっているが、衣の襞もこの体躯の動きに応じて、流動的に刻まれている。この衣の襞には、部分的に翻波式衣文や渦文を交えており、胸部と腹部の間の肉のたるみの表現などと共に、平安初期彫刻の特徴として数えられる。9世紀の造立と考えて、まず、間違いないであろう。

 

 

【45】 木心乾漆義淵僧正坐像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 木心乾漆義淵僧正坐像
所在地 ---
種別 国宝/彫刻
指定年月日 昭和32年2月19日
管理者 岡寺

 

奈良国立博物館
木心乾漆 像高93.0cm
義淵はその門下から行基、道慈、良弁等の多く学匠を輩出した奈良時代前期の法相宗の学僧で、天智天皇から岡本宮を賜わり、これを改めて竜蓋寺(岡寺)を創建し、神亀5年(729)この地で入寂したと伝えられる。両部の深く刻まれたしわや、胸部の肋はいかにも年老いた姿を写しながらもがっしりとした躰躯や、しわ深いとはいえ、ひきしまった面部の造作は精悍な気迫をよくとらえている。衣は肉身部の表現とは対称的にゆったりとおおまかに表現され、それがかえって高僧義淵の肉身部特に面部に集約される強烈な意志を強調しているかの感がある。木心乾漆とはいえ桧材で彫成された木心部はかなり発達し、その上に厚手の乾漆をもり上げて細部の表現をしており、技法的に奈良時代後半から平安時代初期の特色を持っており、気分的に平安時代初期の一木彫像の造形を感じさせるものである。ともあれ、奈良時代後半から平安時代初期頃の造顕になる数少ない肖像彫刻の一遺品として注目すべき作例といえよう。

 

 

【46】 銅造如意輪観音半迦像 ※文化財保護法による指定文化財
名称 銅造如意輪観音半迦像
所在地 ---
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 明治32年8月1日
管理者 岡寺

 

京都国立博物館
銅造 鍍金 像高31.2cm
本像は、当寺の本尊・塑造如意輪観音坐像の胎内仏と言われ、またその作者は、稽主勲と伝えられる。稽主勲は、天平時代前半期に活躍した仏師らしく、「扶桑略記」によると、神龜4年(727)に長谷寺の十一面観音立像を、稽文會と共に造立している。もし寺伝が正しければ、本像は奈良時代初期に作られた可能性が強く、後に塑像の如意輪観音像が作られるに及んで、その胎内に納められたと解釈される。本像は、飛鳥・白鳳時代の半跏思惟形菩薩像の伝統に則り、古式の三面頭飾をつけ、蕨手状垂髪のなごりを残し、体躯の肉どりや衣の襞の処理にも、若干抽象的な表現を残す。両頬の豊かな面部は、ういういしく、数ある小金銅仏の中でも特に愛らしい。なお本像は、指定名称は如意輪観音像となっているが、頭飾にストゥーパ(塔)をつけているので、弥勒菩薩像と呼ぶべきかと思われる。

 

 

【47】 四天王 ※明日香村指定文化財
名称 四天王
所在地 ---
種別 重要文化財/彫刻
指定年月日 昭和53年4月4日
管理者 大字上

 

薬師堂
四躯ともに木造、一木造りで、像高は各90.0cmほどである。本尊の薬師如来と同時代のものとされている。

 

 

キトラ古墳
【48】 キトラ古墳(国指定特別史跡)
名称 キトラ古墳
所在地 明日香村大字阿部山
面積 4,301平方メートル
指定年月日 平成12年7月31日
特別史跡 平成12年11月24日

 

近年の発掘調査によって墳丘、石室、壁画、出土遺物など、7世紀末から8世紀初頭頃につくられた古墳の全容が明らかとなった。古墳は南東から北西へ伸びる尾根筋南斜面に立地する。墳丘は、南斜面を平らに削り、版築という古代の土木技術を駆使してつくられていた。二段築成の円墳で、下段直径13.8m、上段直径9.4m。石室南側には、墓道と呼ばれる棺や閉塞石を運び入れるための通路状施設がある。石室は大阪府と奈良県境にある二上山で採石された凝灰岩切石18個からなり、床面を除く壁面には四神・十二支像・天文図・日月像の壁画が描かれていた。壁画における高松塚古墳との違いは、朱雀が残っていたこと、白虎が北を向いていること、人物像が無く、獣頭人身の十二支像が描かれていること、星宿図ではなく天文図として内規・外規・黄道・天の赤道などを描いていることなどである。被葬者を納めた棺は、黒漆を塗り重ねた木棺。内面には朱が施されていたのであろう。棺に付属していたものとして金銅製鐶座金具、銀環付六花形飾金具、金銅製六花形飾金具などが出土した。主な副葬品には黒漆塗銀装大刀、ガラス玉、琥珀玉などがある。被葬者については断定できない。ただし、重複することのない人骨片が約15点出土しており、一人の熟年男性が埋葬されていた可能性が高い。

 

 

【49】 飛鳥池工房遺跡(国指定史跡)
名称 飛鳥池工房遺跡
所在地 明日香村大字飛鳥
面積 19,981平方メートル
指定年月日 平成13年8月13日

 

飛鳥宮跡の東、酒船石遺跡北側に展開する遺跡。飛鳥寺が北にあり、当遺跡は寺の南面大垣とバラス敷き道路とによって限られていた。遺構は掘立柱建物、掘立柱塀、工房跡、瓦窯、石敷井戸、石組溝、石組暗渠、石組方形池、バラス敷き道路、溝などがある。最古の貨幣である富本銭を大量に鋳造していたことで広く知られた遺跡であるが、その他にも多くの手工業生産が行われており、古代の総合工房跡であることが確認された。具体的には金・銀・銅・鉄などを素材とした金属生産、琥珀・水晶・ガラスなどを組み合わせた玉生産などである。飛鳥寺の瓦を焼いた窯跡も検出されており、関係の深さをうかがい知ることができるであろう。溝の腐植土層には木簡や削屑が大量に含まれており、天皇木簡・寺名木簡などを含む木簡は約3400点出土した。紀年したものとしては、天武五年・六年(676・677)や天智九年(670)を著す木簡がある。木簡は、天武朝の時期を中心としたものであろう。

 

 

キトラ古墳
【50】 檜隈寺跡(国指定史跡)
名称 檜隈寺跡
所在地 明日香村大字桧前
面積 7,611平方メートル
指定年月日 平成15年3月25日

 

古代檜隈と呼ばれていた地域に所在する寺院址。出土瓦、講堂の瓦積基壇と呼ばれる築造技術などから、渡来系氏族である倭漢氏の氏寺であることが指摘されてきた。境内地には、於美阿志神社がある。於美阿志という社名は、倭漢氏の祖とされる阿知使主(あちのおみ)からきており、関係の深さを物語っていよう。これまでの発掘調査では、金堂・講堂・塔・中門・回廊などが確認された。伽藍配置は特異なもので、他に例をみない。南北に配置された金堂と講堂に回廊がそれぞれ取り付く。西面する中門から南へ伸びた回廊が東へ折れ金堂に、回廊はさらに金堂東側から東へと伸び、北へ折れ、塔の東側を通る。西へ折れた回廊は講堂に取り付き、講堂西側から西へ伸び、そのまま南へと折れて中門北側で収束していた。史料からは七世紀後半に金堂、七世紀末には塔・講堂が造立されたことをうかがい知ることができる。金堂の調査では、輻線文をもつ複弁八弁蓮華文軒丸瓦と三重弧文軒平瓦とを組み合わせた瓦の出土が多く、講堂では、藤原宮使用の軒瓦に類似した瓦の出土が多い。出土瓦の年代から、創建が七世紀初頭まで遡る可能性を指摘できる。。

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