キトラ古墳発掘情報
キトラ古墳調査概要2

明日香村大字阿部山小字ウエヤマ136-1

 

立地

キトラ古墳は、南東から北西へ伸びる尾根の南斜面に築かれている。
築造にあたっては南斜面を平らに削りだし、そこに版築によって墳丘を築く。

 

墳丘

墳丘の直径は下段が13.8m、上段が9.4m、高さ3.3mの二段築成の円墳であることが判明した。
墳丘は版築によって築成されており、版築を築くための直径10cmの杭と4~5cmの厚みの幕板の痕跡も確認している。
また、墳丘南斜面でも基礎造成の版築層と、以前に見つかっていた石詰暗渠排水溝を確認している。

 

盗掘坑

盗掘坑は墳頂から墓道先端にかけて、溝状に南北に細長く掘られている。
その幅は石室の前面以外は30cm程の薬研堀風の形状をしている。
石室の西辺に沿って掘削され、石室前面では60cmほどに掘り広げられ、ここで石材を破壊し石室内に至る。
盗掘坑の底部には破砕された石室石材(凝灰岩)の破片・屑片が堆積しており、これに混じって漆片(漆塗木棺の断片)や金銅製品の細片が出土している。
さらに瓦器片も出土し、盗掘時期を推測させる。
盗掘は閉塞石(南側の朱雀の描かれた石)を主に破壊している。
孔はこの石材の西辺隅に高さ65cm、上幅40cm、下幅で25cmをはかる。
おそらく閉塞石の西辺の上隅を破壊したが、西側石の側面が見え、孔が小さかったため、さらに下方向に孔を掘り広げたのであろう。
盗掘孔周辺の石材に残されていた工具の痕跡から、盗掘に使用された工具は先端が蛤形をした幅5㎝ほどのものであったことが推測できる。

 

墓道

墓道は石室の南側に取り付き、棺や閉塞石を搬入するための通路状の施設である。
ただし、墳丘を一旦完成させた後に、石室南側を通路状にオープンカットし、搬入後、再び埋め戻す。
キトラ古墳は墳丘南側を斜めに削られており、確認した墓道の長さは、東側で5.3m分、西側で3.2m分で、墳丘規模との関係から全長は6m程に復元できる。
幅は石室前面では2mであるが、南側では2.6mと広がっている。
壁面は垂直に立ち上がる。

床面は奥から1.8m分は水平であるが、そこから手前は南側に傾斜している。
この床面では南北方向に並行する4条のコロレールの痕跡と2基の穴を確認している。
コロレール痕跡は、閉塞石を運び込むために設けられたコロの下に敷く道板である。
50cm等間隔で並んでおり、溝幅は20cm程で断面半円形をしているので丸太を埋めていたのであろう。

コロレールを抜いた後に、これと重複して2基の穴が掘られるが、柱痕跡や抜き取り穴がなかったので、性格は不明である。

石室の閉塞後には墓道を版築によって丁寧に埋め戻している。
この中に土師器の細片が含まれているが、時期までは特定できない。

 

石室

石室は二上山産の角礫凝灰岩の切石を組み上げて作られている。
底石の上に東西北の側石をのせ、さらに天井石をのせる。
南側は閉塞石で閉じる。
底石と天井石は南北に4枚で構成されており、東壁は4石、西壁は3石、北壁は2石、南壁は1石で構成されている。
東壁は中央の石材のみ上下に2枚に分かれている。
石室の内寸は長さ240cm、幅104cm、高さ114cmである。
石材の目地には漆喰を充填し、その後床面を含めて全面を漆喰で塗る。

 

壁画

石室内には床面を除いて、各壁面に四神・十二支像・天文図・日月像の壁画が描かれている。


玄武は北壁中央上よりに描かれている。 亀の甲羅には亀甲紋が施されており、腹から頸の部分にかけて縞模様がみられる。 頭は大きく後ろへ振り返り、蛇と相対面する。 口はしっかりと閉じており、目は蛇の顔を睨みつけている。 頭から腹にかけては黄土色に着色している。 蛇は亀に一回絡まって、頸をみずからの尾にも絡ます。 腹の部分は縞模様を呈し、背中には鱗を模した縞模様を施す。 全体にやや緑色が施されているようである。


青龍は東壁中央に位置する石材の中央上よりに描かれている。 大部分は天井からの濃い染みで見えない。
唯一、上顎の一部と長く伸びて先を丸めた舌、前足の先が染みの外に見える。 頭を南に向ける姿は、高松塚古墳の青龍を彷彿させる。 舌先は赤色で、上顎の部分は緑色が施されている。


朱雀は南壁中央上より描かれている 。長い冠羽と大きな耳たぶ肉垂、長い嘴をもつ。 頭を西に向け、尾羽を東にする。 両方の羽を大きく広げ、長い尾羽をなびかせる。左足は曲げ、右足を伸ばすその姿は今にも飛び立とうとする瞬間であるようである。背中及び羽根は赤色で、羽根模様を斑につけ。尾羽には黒い斑点紋様をつける。


白虎は西壁中央に位置する石材の中央上よりに描かれている。高松塚古墳の白虎とは反対に頭を北側に向け、長い尻尾を上方に立てる。 両足を前に突っ張り、口と目を大きく開いている。線は濃薄を使い分けて描いており、躍動的にみえる。白虎は基本的には白黒で描かれているが、口内と腹に赤色を塗っている。


十二支像は北壁の下半に3体、東壁北よりに1体、西壁北よりに1体の、計5体分が遺存している。このうち最も良く遺存しているのは東壁北よりの1体で、寅の顔に、衿を左前に合わせた袂の広い衣を重ね着て、右手に大きな房を付けた槍をもつ、獣頭人身の十二支像である。北壁の玄武の下に描かれた十二支像で、顔は判然としないが、そのわずかな輪郭やその位置から子像と推定される。 右手には鉤(金襄)とよばれる武器をもつ。 この右隣の像はかなり薄く顔を識別できないが、位置から丑像と考えられる。一方、北壁西側の像はわずかに彩色が残るだけで、画像自体不明であり、西壁の像は亥像と推定されるものは頭部が欠失している。これらのことから十二支像は各壁面に3体ずつ描かれ、北壁中央を子像として時計回りに配置されていたと考えられる。

 

天文図は天井の2・3枚目にまたがるように内規・天の赤道・外規と黄道が描かれている。円は石槨に彫まれた線に朱線を入れて描かれており、その中心は天井石の隙間からわずかに南により、コンパスの穴が確認できる。外規の内側には金箔の星と、これを朱線で結んだ星座がある。天井の東の傾斜部には日像、西側の傾斜部には月像が描かれている。

 

日像は金箔を貼った太陽の中に、わずかに黒い羽根様のものが見られる。おそらく太陽の中に描かれた三本足のカラスの一部とみられる。日像の金箔の下方には水平な線を幾筋も描き、その中に雲か山並みを描いている。


月像は銀箔を貼った痕跡はみられたものの、中に描かれたものは残っていない。本来であれば、月桂樹やヒキガエルが描かれていたのであろう。下方の水平な線や山並みは日像と同様である。

これらの壁画は詳細な観察の結果、ヘラ状のもので引いた下書きがみられた。特に十二支寅像で顕著に確認でき、他の壁画にも部分的に確認できる。おそらく原図を壁面にあて、ヘラ状のものでなぞった後に、描かれたのであろう。

 

出土遺物

石室内には盗掘孔から流入した土砂が堆積している。
盗掘孔の位置が南西隅であることから、この部分の堆積土が多く、奥にいくほど3cm程と薄くなる。
この堆積土は数mmの粘土層を除去すると漆塗木棺の断片が2~5cmの層をなして堆積しており、さらに下には粘土層が堆積している。
これらの堆積層の中から棺金具・刀装具・金銅製品・琥珀玉・ガラス玉・人骨がある。

漆塗木棺は木質部が腐食し、内外面に塗った漆の層の幕だけになったものである。断片には黒漆を塗り重ねたものが多く、一部には水銀朱が塗られているものもある。おそらく、棺の内面を朱塗りしていたのであろう。この木棺に付属する金具に金銅製飾金具1点と銅製釘隠5点、金銅製板状金具1点がある。


金銅製飾金具は直径7.5cmの透かし彫り金具で、ハート形の忍冬文を3単位円形に連結する。表面にのみ鍍金がなされており、中央には方形の孔が開いて、ここに円環付きの釘を打ち、棺の小口側面に取り付けた鐶座金具であろう。

 

銅製釘隠は裏面が皿状にくぼんだ板状の六花形金具である。直径3.7~3.9cmで、径2mmの釘が三角形になるよ3本付く。釘穴の配置は1つおきの花弁中央に対応するものが4点、花弁の間にあくもの1点の2種類がある。金具裏面には水銀朱のつくものがあることから、木棺内面の釘隠しの金具と考えられる。
他に3×2cmの金銅製板状金具があるが性格は明らかではない。

 

玉類には琥珀玉6点とガラス玉18点がある。
琥珀玉は直径8.5~9.5mmのほぼ球形で穿孔がある。

 


ガラス玉は3~4mm程度のソーダガラスである。

 

 

鉄製品は2点あり、ひとつは長径3.5㎝、短径1.7㎝、厚み1cmの楕円形環状をしている。稜線部分にはS字形の連続した金象眼が2列に施されている。刀装具の一部で、帯執金具と推定される。もうひとつは一辺1.5cm、厚み4mmの鉄片で刀身断片の可能性がある。
この他に、第3次内部探査時に石室閉塞石の外側の盗掘坑内で幅2.4~3.0cmの鉄製大刀が出土している。

人骨片は約15点出土しており、左右の上顎骨・右頬骨や犬歯・中切歯・側切歯・第一臼歯などがある。 重複する骨の部位がないことから、一人の遺骨の可能性が考えられ、熟年男性の可能性が高い。


  キトラ古墳 石のカラト古墳 マルコ山古墳 高松塚古墳
所在地 明日香村阿部山
ウエヤマ136-1
奈良市山陵町別所谷1964 明日香村真弓ミヅツ146 明日香村平田高松444
調査 昭和58年・平成9・10・13~16年(1983・97・98・01~04) 昭和54年(1979) 昭和52・53年・平成2・16年(1977・78・90・04) 昭和47・49年・平成15~17(1972・74・03~05)
墳丘 二段築成の円墳
直径下段13.8m、上段9.4m
高さは西側で約3.3m
墳丘南斜面に石詰暗渠がある
上円下方墳
一辺13.8m、上段直径9.7m
高さ上段1.7m下段1.2m
墳丘下・周辺に石詰暗渠がある
墳丘に石を貼る
二段築成の六角形墳

下段約23.6m 上段約18m 見かけの高さ約5.3m
石敷下・墓道の下に石詰暗渠がある
テラス・周溝底に礫を敷く
二段築成の円墳
直径約20m
下からの見かけの高さ約9.5m
盛土 数cm単位の版築
上段の墳丘裾に板状痕跡と杭の跡
数cm単位の版築状
墳丘全面に葺石
数cm単位の版築
墳丘一段目及び外周の溝に礫を敷く
数cm単位の版築
幅5~6cmの溝が板状痕跡の可能性
石材 凝灰岩切石
(二上山屯鶴峰)
凝灰岩切石
(二上山屯鶴峰)
凝灰岩切石
(ニ上山鹿谷寺)
凝灰岩切石
(二上山屯鶴峰)
石材個数 床石4
扉石1
奥壁2
天井石4
西側3 東側4
(計18石)
床石4
扉石1
奥壁1
天井石4
側石各3
(計16石)
床石4
扉石1
奥壁2
天井石4
側石各3
(計17石)
床石3
扉石1
奥壁1
天井石4
側石各3
(計15石)
石槨規模 長:240.0cm
幅:104.0cm
高:114.0cm
石槨内は家型(高さ10cm)
長:260.0cm
幅:103.0cm
高:106.5cm
石槨内は家形(高さ10cm)
長:271.9cm
幅:128.5㎝
高:135.7cm
石槨内は家形(高さ7.6cm)
長:265.5cm
幅:103.5cm
高:113.4cm
漆喰 石槨内全面(厚さ数mm) なし 石槨内全面(厚さ2~7mm) 石槨内全面(厚さ2~7mm)
壁画 北壁 玄武・十二支
東壁 青龍・十二支
南壁 朱雀
西壁 白虎・十二支
天井 天文図 
    日像・月像
壁画なし 壁画なし 北壁 玄武
東壁 青龍・日像 
     男女子群像
西壁 白虎・月像 
     男女子群像
天井 星宿図
遺物 漆塗木棺
金銅・銅製棺金具
金象眼帯執金具
鉄製大刀
琥珀・ガラス玉
人骨(熟年男性)

漆塗木棺

銀製大刀金具
金箔
金・銀・琥珀玉

漆塗木棺
金銅・銅製棺金具
金銅製大刀金具
金銅製尾錠

人骨(壮年男性)

漆塗木棺 202×57㎝
金銅・銅製棺金具
銀製大刀金具
海獣葡萄鏡
琥珀・ガラス玉
人骨(熟年男性)

男子群像 漆紗冠の着用
白袴の着用


褶の未使用
天武11(682)年6月6日~持統元(687)年
天武11(682)年6月6日~朱鳥元(686)年7月
持統4(690)年4月   ~大宝元(701)年3月
慶雲3(706)年12月   ~
天武11(682)年6月6日~大宝2(702)年1月
女子群像 結髪の実施 天武11(682)年4月23日~朱鳥元(686)年7月2日
慶雲2(705)年12月19日~
  襟の左前                   ~養老3(719)年2月3日

 

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