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甘樫丘東麓遺跡の発掘調査

今回は、奈良文化財研究所が行った、甘樫丘東麓遺跡の発掘調査について、その成果を紹介したいと思います。

甘樫丘は、飛鳥川西岸にある148mの丘陵です。古くは盟神探湯(くがたち)神事が執り行われた場と伝えられており、文献を紐解けば、「日本書紀」に、蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅が営まれていたことを記す記事が見受けられます。

甘樫丘東麓遺跡での発掘調査は、これまで6度にわたって行われており、そのうちの4度は、今回の発掘が行われた谷部での調査となります。1994年度の発掘調査で、谷部分において7世紀後葉から藤原宮期にかけての大規模な整地と、7世紀中葉の焼土層が確認されています。この焼土層からは大量の土器片や焼けた壁土、炭化した木材などがみつかりました。これらの遺物は、645年の「乙巳の変」(大化の改新)との関連性が注目され、さらなる発掘調査成果が期待されました。また、2005年度の発掘調査では、7世紀代の掘立柱建物などもみつかっており、これらの様相から、この谷地が、蘇我氏の邸宅の候補地である可能性が強まってきました。こういった過去の成果を踏まえ、今回の調査では、遺跡の広がりと性格の解明を目的として、調査が行われました。

調査の結果、建物や石垣などの遺構は、7世紀前半のもの、7世紀中ごろから後半のもの、藤原宮期のものの、3時期に分かれるようです。出土遺物には、古墳時代から中世にわたる土器などが出土しています。また、漆の運搬具や、パレットのように使用されていた土器なども出土しています。特殊なものとしては、鉄さい、釘、刀子、鞴の羽口などが出土しました。これらは、藤原宮期に属する炉に関連する遺物と思われます。

今回の発掘調査によって7世紀代の活発な土地利用の状況が明らかとなりました。また、7世紀前半の建物や、7世紀半ば頃の建物は、蘇我氏の邸宅と関連する施設の可能性が考えられます。しかしながら、建物の規模が小さいため、中核となる建物は、調査区外に展開していると考えられます。今後の調査がまたれるところです。

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