明日香村

お問い合わせ窓口:明日香村役場

0744-54-2001

島庄遺跡調査続報4

今回紹介するのは、明日香村教育委員会によって継続的に範囲確認調査が行われている島庄遺跡の発掘調査についてです。

島庄のあたりは、文献上には、「飛鳥河の傍に家せり」とされた馬子の邸宅があったのではないかと思わせる記述がみられます。また、蘇我氏が滅んだ後、官有地となり、壬申の乱直前に天武天皇が吉野に入るときに立ち寄ったとされます。草壁皇子の離宮である「嶋宮」も同じ場所にあったと考えられています。島庄遺跡における発掘調査は、これまで奈良県立橿原考古学研究所が行ってきていますが、飛鳥時代の建物や方形池をはじめ、石組溝・曲溝・小池等がみつかっていました。

明日香村教育委員会では、これまでの調査のうち、7世紀代の各時期に重複する建物を見つけており、これらの建物が飛鳥時代全般にわたって建てられていたことがわかってきています。今回の調査地は方形池の北側にあたります。調査区は2カ所設け、9月から12月までの間、調査をしており、古墳時代の溝や飛鳥時代の溝・掘立柱塀などをみつけました。飛鳥時代の溝は長さ約4.5m分を、幅約5m、深さ約1mでみつけています。溝の中からは、飛鳥時代の土師器・須恵器などが出土しました。

掘立柱塀は、三間以上で、南西から北東方向でみつけています。柱を建てるための穴は、形が隅丸方形で、長さが約80~100cmでした。柱の痕跡は、径が約 20 ~ 25cm です。調査区からは、弥生土器、古式土師器、土師器、須恵器、瓦器などが出土しました。今回の調査で、方形池の北側でも飛鳥時代の塀をみつけました。このことにより島庄遺跡における飛鳥時代の遺構は、少なくともこの調査区近辺まで広がっていることが確認できました。

この塀は、その建てられた方位に対する振りから、7世紀半ば前後に築かれた可能性が考えられます。調査区近辺でのさらなる発掘調査が待たれるところです。

奈良県 明日香村公式ホームページ

〒634-0142 奈良県高市郡明日香村大字橘21番地 (Google Maps

FAX:0744-54-2440

開庁時間

月曜日~金曜日 8:30~17:15
※土・日・祝及び12月29日から1月3日は除く

画像及び文章等の無断転載、使用はご遠慮ください。

Copyright © 明日香村, All Right Reserved.
ページのトップへ