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竹田遺跡の発掘調査成果

今回は、明日香村教育委員会が行った竹田遺跡の範囲確認調査について、その成果を報告したいと思います。

はじめに

竹田遺跡は飛鳥寺の北面大垣を東へ約20mの距離にあたり、現在の八釣集落より西の狭小な丘陵部の南側に所在します。飛鳥寺の北面大垣は東へと進みこの延長上の道が竹田道と呼ばれていたことが、小字名「竹田道ヨリ北」から窺い知ることができます。

文献によれば、『万葉集』第3巻262首に「矢釣山」を詠った歌がありますが、この歌は柿本人麿が天武天皇と藤原夫人(ぶにん・おほとじ)五百重娘(いほへのいらつめ)との間に生まれた新田部皇子にあてて献った歌に対する反歌です。このことから、新田部皇子の邸宅が、現在の八釣集落近辺にあったのではないかとされてきました。

調査地近辺におけるこれまでの調査では、南西の東山カワバリ遺跡で、7世紀中頃以前の掘立柱建物もしくは塀がみつかっており、飛鳥寺に使用されていた鴟尾が出土しました。このことから飛鳥寺に関連した施設があった可能性も考えられています。また飛鳥竹田遺跡では溝や掘立柱塀が見つかりました。この溝は、東西道の北側溝の可能性が考えられます。出土遺物には鞴羽口・竈・製塩土器などがありました。今回は7カ所の調査区を設けました。調査面積は合計で約900㎡です。

主な遺構と出土遺物

調査の結果、飛鳥時代の後半を中心とした建物群がみつかりました。これらの建物群はいくつかのグループに分れそうです。建物(1)・(2)・(3)、建物(4)・(5)・(6)・(7)・塀、建物(8)・(9)、建物(10)です。また平安時代の建物(11)を一棟見つけています。これらの建物群の差は、時期によるものなのか、建物の敷地などによる差なのかは明らかではありません。

主な出土遺物には石器・土師器・須恵器・製塩土器・黒色土器・墨書土器・瓦器・瓦・・鞴羽口・鉄滓などがあります。

まとめ

今回の調査では、主に丘陵に近い北側の調査区で、飛鳥時代の後半を中心とした建物群の一部が見つかりました。柱穴は一辺1m近い規模をもつものもあり、飛鳥地域でも大型のものです。残念ながら建物配置までは明らかにできませんでしたが、皇族や高位高官などの邸宅の可能性が考えられます。調査地近辺が八釣の集落にほど近いことなどから、新田部皇子との関連性も注目されます。いずれにしても、この地域に飛鳥時代の邸宅があった可能性が高まったことは重要です。今後の周辺での発掘調査が期待されるところです。

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