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今回は30年ぶりに実施された墳丘の調査について紹介したいと思います。高松塚古墳壁画は、発見から30数年を経て、壁画の保存環境が変化してきています。例えば、石室内の温度が発見当時に比べて上昇してきたり、黒カビが発生したり、ムシの侵入が確認されたりしています。さらに、壁面の劣化が進行しており、壁画をとりまく環境が変化しています。
このことに対処し、今後の保存方法を検討するために、文化庁では検討会を設置し、様々な角度からの検討を行っています。今回の墳丘部の発掘調査も、保存環境の変化の原因を解明するために実施したものです。
つまり、
発掘調査は文化庁の委託を受けた奈良文化財研究所に、橿原考古学研究所・明日香村教育委員会が共同で実施しました。調査の結果、古墳の規模と築造方法、そして築造時期の手がかりを得ることができました。
古墳は東南から北西へ延びる尾根の南斜面を削って墳丘を造っています。墳丘は版築によって丁寧に積み上げられており、下段の直径約23m、上段18mの二段築成の円墳であることが判明しました。墳丘の周りには幅2.5mの周溝が巡っています。これまで高松塚古墳では墳丘部の調査はごく一部に留まっており、古墳の正確な形や規模は明らかではありませんでした。
今回の調査で規模と形態が確定しました。直径23mといえば、マルコ山古墳と同じ大きさで、キトラ古墳や石のカラト古墳(14m)よりも一回り大きな規模です。つまり高松塚古墳とマルコ山古墳は形が円形と六角形で異なりますが、同じ企画で造られていることがわかります。同じようにキトラ古墳と石のカラト古墳も円形と上円下方形で異なるが、企画は同じです。
高松塚古墳の墳丘の下層からは七世紀中頃~後半の土器が出土する包含層があり、墳丘版築内から七世紀末~八世紀初頭の土器が出土しました。つまり高松塚古墳は七世紀末~八世紀初頭か、これ以降に築造されたことが確定しました。 これは被葬者を考えるにあたっても重要な点です。
では、壁画の保存環境との関係では、どのようなことがわかったのでしょうか。
墳丘版築には当初予想していたような亀裂や断層はみられませんでしたが、中世以降に墳丘が大規模に削られていたことがわかりました。竹の根は石室まで達するほど深くははいっていませんが、この根の痕跡は空洞になっています。しかし、モチノキの根は深くまで入っており、石室への影響は心配です。また、墳丘の北東部には粘土層があり、石室の位置がこの粘土層よりも低いことから、ここに水が溜まり、水分率が高まっていたことがわかりました。
このように今回の調査では後世のの墳丘の改変や古墳の埋没状況、古墳が築造された丘陵の土層構造などが明らかとなりました。しかし、近年の壁画の保存環境変化の原因のすべてが解明できたのではなく、今回判明した点を含めて、いろいろなことが複合的に重なって保存環境が変化したと考えられます。さらなる原因の追及と、これらを踏まえた保存方法の検討が、現在の課題です。
なお、高松塚古墳やキトラ古墳などの調査成果をわかりやすく紹介した展覧会を、この春に飛鳥資料館と共催で行います。村民のみなさんもぜひご覧になって、飛鳥の古墳について考えてみてはいかがでしょうか。
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