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今回の調査は、酒船石遺跡の範囲を確認するための調査です。酒船石の存在は江戸時代から知られていますが、その性格については諸説あり、定まった考えは見いだされていません。この酒船石がある丘陵部を中心に、これまで24次にわたって明日香村教育委員会により調査が継続的に行われています。
調査地は、酒船石のある丘陵を遊歩道沿いに東へ入った突き当りの谷と丘陵の斜面の部分になります。これまでの酒船石遺跡の調査では、酒船石を取り囲むように第1次、第3次、第17次、第20次調査などで、明日香村の細川谷近辺で採れる「飛鳥石」や、天理市石上付近で採れる「砂岩」と呼ばれている石を使って作られた石垣状の遺構がみつかっていますが、今回の調査でも新たに石垣状の遺構がみつかりました。
石垣状の遺構がみつかりました。
石垣状の遺構は、丘陵の自然地形を削り、「飛鳥石」を基礎になる石として、上になる面を平らにした状態で据えています。 この基礎石は東西方向で4~5石分、南北方向で6石分を検出しています。このうち南北方向の基礎石は、2石分を水平に据えており、北へ向かって4石分が階段のように上がって据えられています。5石目は残っていませんでしたが、石が抜かれた痕跡がみられることから、少なくとも作られた当初は南北方向の基礎石が7石分はあったことがわかりました。「飛鳥石」の大きさは、長辺が80~100cm、短辺が20~35cm、厚さ30~40cmほどもある大きなものです。これまでの調査成果から、この「飛鳥石」の上にはレンガ状に切られた「砂岩」が積んであったと考えられていますが、残念ながら今回の調査では崩れ落ちていました。しかし、調査区からは大量の砂岩がみつかったことから、この石垣状遺構にも積んであったことが推測されます。
また、これらの「砂岩」が抜き取られた痕跡もみつかりました。出土した「砂岩」は、小さなもので径5~6cmのかたまりから、大きなもので長さ30cm前後、幅約18~23cm、厚さ約9~13cmのものまでみられます。石垣状の遺構は、南北長で5m分、東西長で3.5m分を検出しています。みつかった基礎石の最も低いところから最も高いところまでの高さの差は約150cmあります。
「砂岩」が本来積まれていたと考えられる位置から背面の地山面までの約1.5m間には、裏込めとして盛られていた土が高さ約70cm分残っていました。また、表側にも基礎石を覆うように砂岩を細かくして使用した化粧土がみられることから、石垣の完成した段階では基礎石が見えなかったと思われます。石垣の南側でも土を盛って整地をしていたことが確認されました。この石垣状遺構は、出土した土器から7世紀後半頃には崩落していたと思われます。
北地区でみつかった石垣状遺構を作る際に、周りの地形を整えた様子がうかがえる造成土がみられました。 造成土はトレンチ内で、幅約3.4m、長さ約25mにわたってみつかっています。 また、東地区においても北地区同様に砂岩がまとまって出土しましたが積まれたり敷いているような状態ではありませんでした。
しかし東地区では、基礎石となる「飛鳥石」がみあたらないことから、これらの「砂岩」は北地区で見つかった石垣状遺構で使われていたものが人為的に動かされている可能性があります。
出土した遺物には、土師器(甕・坏身)、須恵器(甕・高坏・坏身・坏蓋・盤もしくは皿の蓋)、瓦器(椀)、陶磁器、四重弧文軒平瓦・軒平瓦・軒丸瓦などがあります。
その他特徴的な遺物として鉄釘、不明鉄製品、棺材の一部かと思われる木質片、石見型盾形埴輪、盾形埴輪、蓋形埴輪、円筒埴輪などが破片で出土しています。
遺物の詳細な時期については現在検討中です。
今回の調査は、酒船石が所在する丘陵の東端に位置する谷および丘陵において、南斜面と西斜面にトレンチを設定し発掘を行いました。その結果、石垣状遺構の基礎石の部分がみつかり、その基礎石の上に載っていたと考えられる「砂岩」が出土しました。「砂岩」を伴う石垣状の遺構が酒船石のある丘陵南側の斜面でみつかったのは今回の調査が初めてです。今回の発見によって石垣状の遺構が北側、西側の斜面だけではなく、南側の斜面にも巡り、少なくとも最上段にあたる部分に関しては、酒船石のある丘陵を全周していた可能性が高くなりました。
また、第20次調査でみつかった石垣状遺構と、今回の調査でみつかった石垣状遺構とが対称になるような形になっていることから、これらの石垣状遺構が最上段の東端であった可能性も考えられます。第20次調査でみつかった石垣状の遺構を北側斜面の東端と考えた場合、ここから酒船石のある丘陵をめぐり今回の調査でみつかった石垣状遺構までの距離を測ると、総延長で約700mとなります。また、第20次調査でみつかった石垣状遺構と今回の調査でみつかった石垣状遺構との距離は直線距離にしておよそ50mになります。
仮に丘陵上を巡らせる700mもの石垣状遺構を築くような大土木工事が行われていたとするならば、それは『日本書紀』斉明二年是年条にあるような宮の東の山に石垣をつくるといった事柄や石垣を築くために七万人もの人々が動員されたという記事などをあらわしている可能性がさらに高まりました。
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