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酒船石遺跡伝飛鳥板蓋宮跡の東方、謎の石造物・酒船石がある丘陵を酒船石遺跡と呼んでいます。
平成4年に見つかった石垣は天理から奈良市で採集される砂岩を使用し『日本書紀の』斉明二年の条に記されている「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の記事に符合します。
この丘陵では版築による大規模な造成が行われ、斉明天皇の「両槻宮」ではないかとも考えられています。今回この丘陵の北裾で、東西ふたつの尾根にはさまれた谷部分を、村道飛鳥小原線建設に伴う事前調査と酒船石遺跡の範囲確認を目的として、平成11年11月から調査中で、調査面積は約750㎡です。
調査区東側の階段状石垣は東の尾根の西斜面に造られ、石段は格段の幅が約60cm、高さ25cmで8段あり、南北幅6m、高さ約2mあります。
石敷のテラスは北に向かってわずかに傾斜しながら高くなっており、テラスから北へのびる石段は6段分残っています。
石垣調査区西側の丘陵裾に沿って造られている花崗岩を用いた石垣は、高さ1mほどあります。 石垣とその東の犬走状に残る石敷との間には幅40cm、深さ15cm石組溝が造られています。
また上段の石垣として長さ30cm、高さ15cmの砂岩切石を積んだ石垣が造られ、2段分残っているところもあります。
調査区の中央に幅50cm、深さ45~50cmの石組の南北溝があり、溝底にはバラスを敷いています。この地域の基幹排水溝で数回改修されています。
石造物調査区の南側では飛鳥産の花崗岩を加工した石造物が見つかりました。花崗岩の石塊を成形して亀の形を彫ったもので、全長約2.4m、幅2mで顔を南、尻尾を北に向けています。左右には手足が表現されており、円形の甲羅部分は幅19cmの縁を残して直径1.25m、深さ20cmの水槽状に加工しています。水は鼻の穴から水槽部分に入り、V字型に彫りこまれた尻尾から南北溝に流す仕組みになっています。
もうひとつは、小判型をしたもので長さ1.65m、幅1mで北側の側面には突起を、南側の上面は高さ15cm、幅90cmの半円形に一段高く削り出しています。石の縁を20cm残して長さ93cm、幅60cm、深さ20cmの水槽状に加工しています。水槽底より8cm高い位置に径4cmの穴が開けられ、突起を通って水は石造物1の鼻に入ります。
今回の調査では酒船石遺跡の丘陵の北裾で、谷部分という閉鎖された空間の中に遺構が存在することが明かとなりました。これらの遺構は石造物を中心として石敷や階段状石垣などによって立体的な空間を作り出しています。遺構には多くの砂岩切石が使われており、酒船石遺跡の造営とともに造られたものと考えられます。
酒船石遺跡は、『日本書紀』にみえる「宮の東の山の石垣」、「両槻宮」との関係が指摘されてきましたが、今回の遺構はそれらをさらに補強するものです。このような大土木事業が可能であったのは天皇、ないしはそれに準ずる人であったと思われます。
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