
我が国最大級の石室を持つ方墳。築造には相当すぐれた巨石運搬技術が要求されたことを物語っています。蘇我馬子がこの付近に住んでいたという記録と、墓が巨大であったことから一般に馬子の墓とされています。
電話
:0744-54-4577
URL:http://www.asukadeasobo.jp/
入場時間
:8:30~17:00(受付は16:45)
休場日
:年中無休

飛鳥の西南、檜隈の里の文武天皇陵近くにあり、昭和47年に彩色壁画(国宝)が発見され一躍有名になりました。被葬者についてはかなり高貴な人物とされています。
本物の壁画は修理中のため見ることはできませんが、古墳西隣には壁画館があり、極彩色の壁画の模写や復元模型が見られます。

高松塚古墳の南にある円墳。昭和58年と平成10年の内部調査で天文図と、四神像のうち3体(玄武・白虎・青龍)が確認され、その後の調査で四神の残り1体の「朱雀」また十二支像が次々と発見され、話題をよんでいます。
石室内の様子は、飛鳥資料館、明日香村埋蔵文化財展示室において、復元模型や写真パネルで見ることができます。

全長約138mの前方後円墳で、欽明天皇の墓といわれています。しかし、最近では見瀬丸山古墳を欽明天皇陵とする説も聞かれます。明治5年以前は、現在、吉備妃王墓に置かれている猿石が配置されていました。

欽明天皇陵の南側に位置し、猿石で有名です。吉備妃王は欽明天皇の孫で、皇極天皇・孝徳天皇の母、天智天皇・天武天皇の祖母にあたります。

鬼の雪隠は、欽明天皇陵の東の丘の斜面に鬼の俎と道をはさんで並んでいます。もとは古墳の石室の一部でしたが古墳が壊され、現在の姿になって残ったとされています。鬼の俎は、長さ約4m、幅2m、厚さ1mの巨大な花崗岩で、古墳の床石と考えられています。
※雪隠は「トイレ」のこと。

壬申の乱(672年)で大友皇子を倒した大海人皇子(即位後に天武天皇)とその皇后である持統天皇の合葬墓です。持統天皇は後に女帝として皇位を継承し、藤原京を造営しました。

天武天皇と持統天皇の孫にあたり、藤原京で即位し、大宝律令を制定した文武天皇がまつられています。高松塚古墳の南東方向に位置します。